佳日-かじつ-の日記

幸せになったことがないからこわい。でも、幸せになるためじゃなかったら、なんのために生きてるんだ! 複雑に考えがちな思いこみや常識について、ほんとうはどうだろう、と気づいたことをのせていきます。

認めるとはどういうことか。

自分を認める。

 

不安な自分を認める。

 

現実が変わらないのは、不安があるから。

 

ワクワクしてないから。

 

ワクワクのベースじゃないから。

 

 

 

魂にきくと、きまって、

 

「楽しく生きたーいっ」

 

と言う。

 

でも、できない。

 

不安とか、後悔とか、自信のなさとかで、

うろうろと、

 

自分が定まらなくて。

 

今まで、タロットで自分の心をみて。

癒して、癒して…

 

たどりついたのは。

 

《自分がない》

 

というところで。

 

「え、なにか、幸せになるために傷を癒してきたのに??」

 

私には何も無い??

 

と、絶望しています。

 

でも、やっと。

 

ここから。

 

気づいた時に、ソコからなのです。いつでも。

 

私は、私が無いことに気がつくのに、これだけ必要だった。以前の私では、気がつけなかった。だから、遅いとかではない。

 

ココから。

 

やっと自分を作っていくところ、なのです。

 

長かった。

 

永かった。永かった。永かった。

 

けれど、今、ココに立てたのです。

 

 

 

 

そうして、自分をたてなおしていくところ。

 

私は、今まで「幸せになれない原因はなにか」を学んできました。

 

ワクワクしていないから。

 

本当の自分で生きていないから。

 

本音を言っていないから。

 

素直じゃないから。

 

 

 

逆に、不安だから。焦りがあるから。頭(常識で判断して)で決めているから。

 

 

 

だから、幸せでない。

 

 

そして、ずっと、弱い自分を認めて。ダメな自分もOKって許して。

 

と、言われてきました。いろんな本にもそう書いてありますね。

 

でも、今まで具体的にわかっていなかった。

 

認めてるけど??

 

って思ってた。

 

でも実際には、

 

不安があっても、「大丈夫、大丈夫なんとかなるわー」

焦ってても、「焦っちゃダメ。ポジティブ!ポジティブ!考えない!」

 

と、やっていて。

これよくよく経緯をたどると、

 

認めてない。

 

んですよ。

 

無かったことにしてる。

 

んですよ。

 

「不安? 気のせい気のせいー!」

 

 

って、不安、なのは本当なのに。

 

無かったことに、してたんです。

 

 

これ、今気がついたけど、母親にされた対応と同じです。

 

母親は、私がなにか心配でも困ってても、頭痛いといっても、不安でも、

 

「まぁそんな時もある」

「気のせいだわ」

「あー、じゃあもうダメだわ笑」

 

マトモにとりあってくれなかった。

これを私がどう受けとったか、というと。

 

優しくして欲しいのに。

大丈夫だよって言って欲しいのに。

心配して欲しいのに。

 

ひどい…。

 

 

 

そうコレを、自分が自分にしていました。

 

やっとわかった。

 

認める。とは、

 

あっていい。と許すこと。

 

私がどうして欲しかったのか。

 

不安でもいい。不安であたりまえだ。

不安だよね。

 

不安であっていい。と不安な自分でいていい。と許すこと。

 

これが、「認める」ということなんだと。

 

不安な自分に、優しい言葉をかけてあげること。

 

やっと、わかった。

 

 

 

 

もし、同じような思考のカラマリ方をしている方がいたら、参考になれば嬉しいです。