佳日-かじつ-の日記

幸せになったことがないからこわい。でも、幸せになるためじゃなかったら、なんのために生きてるんだ! 複雑に考えがちな思いこみや常識について、ほんとうはどうだろう、と気づいたことをのせていきます。

こわいけどGO!!

ずっと、

「頭は理解できなくてこわいけど、魂はわくわくしてそっちにいきたい!」

 

という感覚がわからなかった。

 

こわい…から、向き合うのを避けて、

楽しいことしようって、

漫画読んだり、YouTubeみたりして過ごしてた。

 

 

新しい仕事をしたい!ってなった時、こわくて選べなかった。

メンター(魂の指導者)さんに

 

「こわい?」と聞かれて

「…こわい」と答え。

「でも、嫌じゃないでしょ?」

「嫌、じゃない」

 

と言ったけれど。

 

感覚がよくわかっていなかった。こわすぎたのかもしれない。

 

例えば、美容院。

 

街を歩いていて、たくさんならんでいる。

 

素敵だな、と思う美容院もあるし、

嫌だな、と思う美容院もある。

 

…この感覚が「嫌だ」という感覚だ。

 

誰かに心無いことを言われた、言われているのを聞いた時、

 

「嫌だな」と思う。

 

なんとなく、ざらりとした感覚。

 

これが「嫌」だ。

 

「こわい」とは違う。もちろん、「こわい」と「嫌」が同時の時もある。

 

…もしかしたら、同時に感じることが多かったから、区別をつけるのが難しかったのかもしれない。

 

とにかく、「新しい仕事をしたい」となった時に、感じたのは「こわい」だけで、このなにかざらりとする「嫌」な感覚はしない。

 

「こわい」というのは、高級感のあるホテルに入る感覚に似ている。場違いじゃないか?なんて不安がよぎったりする。

 

 

頭は現状維持をしたがる。新しいことはこわい。

でも、魂は新しいことをしたい。わくわくするから。

 

だから、「やりたい」「こわい」「嫌じゃない」なら、「GO」なんだ。

 

 

 

やっとこの感覚がわかった。

 

「こわい」から逃げない。

 

目を背けていると、見ないままだとどんどん大きくなるらしい。

 

というのは、魂がのぞんでいるから。