佳日-かじつ-の日記

幸せになったことがないからこわい。でも、幸せになるためじゃなかったら、なんのために生きてるんだ! 複雑に考えがちな思いこみや常識について、ほんとうはどうだろう、と気づいたことをのせていきます。

湯シャンのポイント

湯シャンのポイント

 


① 洗う前に、乾いた髪をクシでとく。

濡れた髪にクシを通すと髪がいたむ。

クシでとくことで皮脂脂を浮かすことができる。

髪にあぶらがいきわって艶がでる。

 


②冷たい水で洗う。

かなり熱い湯で、と書いてある説明もあったので温度は気にせず洗っていたが髪がベタついてしまった。

湯温の問題だと気がつき、冷たい水に変えたら良くなった。

暖かくない湯だったら大丈夫。私は身体に冷水がかかるのはムリなのでシャワーでなく洗面器で洗っている。洗面器に浴槽の湯をくみ、そこに水を足して暖かくない湯を作っている。(暖かくない湯=ぬるま湯より冷たいの意味)

 

 

 

③頭皮に水をかけるように優しく洗う。

美容師さんがやってくれる洗い方が良いと思う。

湯温を気にせず油っぽい髪になってしまった時、油を落とそうとガシガシ洗ってしまっていて、湯温をなおしたあともガシガシしていた。

毛先がバサバサしてるけどなんでだろう…、と思っていたが多分原因は洗う時に髪どうしが擦れていたから。

シャンプー有りだと泡が摩擦を少なくしてくれていたんだろう。

 


以上。

 

 

 

あとがき

 

 

 

シャンプーは毎日するもの。

 


たまに食べるものに毒(身体に良くないもの)が入っているのは許容するけど、毎日のものが身体に悪いのは許せない。

という主義です。紅茶も毎日たくさん飲むので、なるべく安全っぽいもの(農薬をつかっていない商品)にしています。

 


湯船のなかに生姜の切れ端をいれたり、よもぎの葉をお茶パックにつめたものをいれたりすると、明らかにいれない時より身体があたたまる。

手のひらサイズなのに。

やはり経皮吸収はすごいと実感した。

柔らかい肌の場所はよりよく吸収してしまうらしい。なのでナプキンも良くないものだと内臓冷えの原因になる。

 


シャンプーに良くないものが入っているなら、毎日、頭皮から吸収してしまう。

 


というわけでシャンプーをやめた。

 


最初はクエン酸とかお酢とか使ったけど、めんどくさいし、お酢の匂いとかちょっといや。

 


そこで湯シャンにたどり着いた。

その昔はシャンプーなんてしなくても大丈夫だった。

人間というのはそのままで生きられるようになってる

ってのは現実に信じられない部分もあるけど、やっぱりそうなんだろうなって信じてる。人間は食べなくても生きいけると思う。ほんとうは。

 


湯シャンはポイントがある。

別に難しくはない。

でも、例えば、この工程は飛ばしてもOKとかお湯でも水でもいいとかそういう緩さは今のところないようだ。

 


乾かす時も気を使った方が良いのだろうが、まだわからない。

電磁波の少ないドライヤーだったり、タオルドライだけの方が良いとは思う。

しかし冬場にタオルドライだけだとなかなか乾かないので冷えてしまうし。今のところ私はふつーの安いドライヤーを使っている。

6月20日

昔は食べ物も着るものも大変な労力が必要で、だからみんなに行き渡らなかった。

 

鎖国を経て、日本は独自の文化を成長させて行った。

 

着物、住居、履き物、食べ物…

 

橋、建物…

 

日本の土地に合った、工夫がされていた。

 

台風や洪水がおきても大丈夫な橋。

 

木々。

 

歴史が積み重なって、経験が積み重なって、

いいアンバイで文化が育っていたんだろうなぁ…

 

夏の日差しはさえぎる、冬の日差しは入りこむ角度の屋根。

 

かまどから煙が屋根裏へあがって、ネズミや虫が寄りつかない構造。

 

 

 

そんな文化が…

 

戦争でリセットされてしまった。

 

そこでまた、1から日本は経済を建て直していった。

 

…はじめは食べるだけで一苦労で。

 

でも、この建て直している間…

 

色々と…改変されてしまったんだろうなぁ。

 

公害とか。憲法とか。自衛隊とか。いろんな問題…

 

…進んだ先にあるのは、

 

高品質な食べ物が、みんなにいきわたる豊かな世界…

 

そのはずなのに。

 

相変わらず、高品質なものはみんなに行き渡らない。

 

みんなに行き渡るのは、

本物と偽物の割合が少しずつ違う食べ物。

 

社会が豊かになれば、

本物を安く手に入れられるようになると思うのに。

 

本物は高いから、偽物を混ぜて安くしたものばかりが溢れている。

 

 

6月15日

自分のものさし(メーター?)、私は今までひとつしか持ってなかったかも…。

所さんの世田谷ベースで、安保さんがおれら的には120点っ!って言ってるのを見て。

 

多分、彼は、自分のものさしが少なくとも2本あるんだ。

 

自分のものさしは、自分の今の精一杯やってるから、120点!

 

相手から言われた事は別のものさし。

所さんは5点って言ってたから、それをふまえて、なおすところ、伸びしろはたくさんあるんだなって、そこのメーターは40点か、20点か、わからないけど。

 

でも、自分なりのメーターは120点だ。

それで、良いんだ。

 

私は、…ひとつだから、自分的に精一杯やったのに、ひとから、5点だって言われたら、

 

自分のメーターを減らしてた。

 

あー、私の精一杯はこんなに足りないんだ…。

けど、がんばったからさ…

 

せめて…60点くらいにならないかな…

50点でもいいからさ…

 

って、思ってた。

 

そうじゃなくて…。

 

自分の精一杯のメーターは減らさなくっていいんだな!

 

って思った。

 

 

 

6月11日

最近やっと、ぜんぶ自分でやってる、という感覚がわかってきた。

 

悲しいのもつらいのも嬉しいのも。

 

ぜんぶ自分のせい。

 

誰かのせいじゃない。

 

これに対する感覚は、

 

自分とまわりの人

 

二極化。

 

なぜか、つねに。

 

本当に常時、まわりの人に見られている感覚。

 

まわりの人と比べてしまう感覚がある。

 

 

こよ感覚だと被害者意識が出てくる。

加害者意思も出てくる。

 

 

でも、この見られている気がするまわりのひとの感覚は、自分が勝手に感じてるものだ。

 

 

気がつくと、ぜんぶ自分だけでやってる感覚になる。

 

自分だけでやってるなら、自分がやめればいいだけだ。

 

この部屋で、ひとりで。

 

ひとりなのにどうして、いろいろ自分をせめなきゃならない。

 

ひとりしかいない。

 

好きにしていいんだ。

 

なにひとりしかいない場所で、まわりを意識して、窮屈に生きてるんだろう。

 

そうやってバカバカしくなる。

 

あー、自由にしようって、思えてくる。

 

 

6月9日

自分の感情を無意識に自動的に抑えた、その瞬間に気がつけた!

 

朝、出勤前の準備中、「焦り」で自分を責めていた。

 

まず、頭の思考(思い込み、培ってきた刷り込み)で、「いまこれやってる暇ないよ」「あ、今のタイミングでお茶いれておけば良かった」「歯磨かないと」「あー洗濯物溜まってる」などと思いながら、細かい順序を効率よく動けていないことを責めていた。

 

今、振り返ると、せめるくらいなら、ルーティンを決めておけば良かった、と思うが。

決めておくのは自由じゃないって思い込みがあった。

…ルーティン…、どうだろう。

…いや、やはり嫌だな。

「責めずに、何も決めずにその瞬間思った通りに動く」のがいい。

 

 

そんなふうに次々、行動を責めていて…

これは気がついて、責めるのをやめた。

気がつけるから、気がついた分は、

「考えない」、思考をしない、心臓(自分の中心)に意識を向けるととめられる。

 

思考はそうやって変えることが出来てきた。

 

しかし、自分を責めてるのはもうひとつあった。

 

ぶわり、と胸の辺りに湧いてくる「焦り」。感情、…の部類になるのか。

 

私は今まで、この「焦り」が湧いたとき、

 

「大丈夫、気にしない!」

 

と、思考と同じような対応をしていた。

思考は考えない。感情は「感じない」。

 

振り返ると、誰かに横入りされて嫌な気持ちが湧いてきた時、「あー、でも、この人急いでたんだなぁ。なにかのっぴきならない事情があるんだ。それかそういう人に育てられたんか。とにかくなにか事情があるんだ」とか相手の事を考えて…、自分の嫌な気持ちの方を「感じない」ように、他のことを考えて、ごまかして、あいまいな感じにして、ほうってしまっていた。

すべてこんなふうにして、湧いてきたのを感じて…特にそれが対人になった時、相手の事情を勝手におもんぱかる方法で、自分の感情をごまかしてた。

 

なぜごまかしてたか?

なぜ自分の感情を感じないようにして生きてきたか。

 

これは子どもの頃、親に対して思った嫌な事をぜんぶごまかして来たからだ。

感じてたら生きて来れなかったからだ。

 

 

でも、今はもう違う。

感じても大丈夫。

私は1人で暮らせてるから。

 

感情を感じないようにしてる事に気がついて。

時間に遅れられて腹が立った、とか。

返信が全然なくて悲しい、とか。

 

そういう時に、感じたことを抑えないことを学んできた。

これは相手がある時。

わかりやすい。

 

相手に感情をぶつけ無くていい。

ただ、自分で自分の感情を感じる。

そこに罪悪感はいらない。

感情に善し悪しはない。

素直に感じればいい。

自分の中の事。

自分に嘘をつくと苦しい。

私は苦しいのは、…もういい。

苦しかったのはもう経験したから。

 

そうやって気がついて、変えてきた。

 

そして、今日。

自分が自分に対して、無意識に自動的に、感情を抑えた事に気がつけた!

 

自分の癖は無意識だから、なかなかなおせない。

でも。気がつけたらなおせる!

 

 

朝の準備の時間。

 

ぶわりと「焦り」の感情が胸に湧いてきて。

私は、瞬時に自分に「大丈夫! 焦らなくていいっ」と言って、「焦り」を無かった事にしていた。

 

こうやって、自動的に瞬時に、自分の感情を無かった事にして、今まで生きてきた。

 

それが、やっっと、その瞬間を捉えられた。

 

そして、やめた。

 

「焦り」を感じるのは、悪いことじゃない。

 

こんなふうに「焦り」を感じる。

それがそのままの今の私なんだ。

 

打ち消すのでは無い。

 

今まで私がやってきたのは、手を怪我して痛いーって言ってるのに、血が出てるのに、は?痛くない!って全否定してたのと同じだ。

 

心が焦ってますっって訴えてるのに。

焦ってないっ。だいじょうぶ!私は平気!

 

そうやって自動的に心を無視してきた。

特に、弱い所を。平気なフリするために。

弱い自分を認めずに。

 

感情は感じて、寄り添う。

 

これも自分だ。こんなことで、焦っちゃう、自分なんだ。

 

そのまま受けいれる。

 

やっと、出来た。

 

やったー(((o(*゚▽゚*)o)))!

 

6月6日

 

光熱費の支払いとか、仕事とか、洗濯物とか洗い物とか。

 

洗濯バサミ買わなくちゃとか。

 

細々したことを考えていたら、臨界を突破した。

 

あー、もうイヤだ!

 

こんな細々した事にいちいちちょっとずつわずらわされてる。

 

もう、やめる!

 

魂にきいて。

魂のままに生きる!

 

決めた。私、もう、ちまちま生きるのやめる。

 


もう、いやだ。

 


せっまい場所で、ちまちま生きるの嫌だ。

 


もっと、広く生きる。

 


自由に生きる。

 


好きに生きる。

 


好きなもの、

 


好きなこと。

 


好きなだけ。

 


もらう。

 


ちょうだい!

 


いただきます!

 


魂で生きる!

 


魂ののぞむ道へ生きます。

 

 

 

 

そう、急に思ったら、なんだかとっても軽くなった。

 

ちょっとずつ、自分の未来が見えてきていると思う。

 

ものすごく、夢だと、今は思っているけど。

 

私は、移住したい。

 

出来れば、クーラーの要らないお家に住みたい。

 

野菜とかも育てて、日々自分の食べる分は、自給自足したい。

 

柿の木が欲しい。

 

たまにくる野良猫を愛でたい。

 

土間のあるお家に住みたい。

 

どこまで、叶うか。

どこまで実際に叶えたいか。

まだわからないけど。

 

今見えている夢。

 

育てる。

 

 

6月2日

ついつい、コロナのこととかワクのこととか、気になってニュースみちゃう。

 

今どんな状況かなって。

 

本音を言うと、「薬害出てんじゃないのー?」「ざまぁwwww」と思えるようなニュース無いかな? って、思って漁ってしまう。

 

だって、おかしいことがまかり通ってて、腹が立ってるから。

 

ほらみろ! オマエらまちがってる!って、思い知らせてやりたくて仕方ない。

 

…けどなぁ。

 

これって誰も幸せにならないんだよなって。

 

腹が立っているのは自分で、これは自分の感情だから、自分の問題。

 

苦しんでる人がいる事実をみて、喜ぶ…なんて変な事になってるし。

 

苦しんでる人は、その苦しみを自分で選んでいる。その人の苦しみはその人のもの。私の為のものではないし、苦しみはその人にしかわからない。

 

反ワクだとか、推進だとか、慎重派だとか。

結局、みんな、対立してるなら。

たぶんだけど、政治における政党と同じような戦略でもって、分断されている。

 

たとえどんなに「正義」でも。

 

他と対立して、屈服させるなら、そこにあるのは、戦いだ。

幸せや平穏はない。

 

 

愛は何も否定なんかしないよ

 

って、アミの本に書いてあったと思う。

 

そう、だから。

わーって、その渦の中へ入っていくと、戦いにまみれちゃう。疲れちゃう。

 

やめよう。

 

…たぶん、どこかで不安なのかな。

自分の選択が信じきれていないのかな?

正しかったって、信じたいから、他の選択した人が間違ってたってニュースを探したいのかな。

それとも、ただ、自分のが正しかったってマウントとりたいだけか。

 

どんな理由にしろ。

…マウントとったにしろ。それで、なんだ?

ちょっと上にたった気分で…。それで、なんだ?

それだけだ。

そこには、幸せは無いな。

 

だって、相手は傷ついているんだもの。

 

 

だから。もう。まみれに行かなくていい。

 

だって。相手の選択は相手にとっていつだって正しい。目的があって、最善の選択を、私たちはしている。

 

どんな目的か。それは、その人それぞれの無意識レベルの本音でしかわからない。

ただ体験してみたい。…のかもしれない。

ものすごく後悔をしてみたい。…のかもしれない。

後悔して、立ち上がりたい。…のかもしれない。

絶望してみたい。…のかもしれない。

何も気づかず、過ごしたい。…のかもしれない。

 

ネガティブな体験が多い気がするのは、ネガティブな体験ができるのは大変レアだから。

きくところによると、地球ぐらいでしかできないらしい。

絶望から立ち上がる体験をしたいなら、まず絶望しないといけない。

立ち上がるって体験はものすごく大変だと思うが、ものすごく素晴らしいと想像する。

それができるのが地球だけらしい。

 

どんなに大変そうに、外からみえたとしても。

それは、その人が体験したいと、のぞんだこと。その人が自由に選んだこと。

 

その自由を、哀れんだり、なんて、意味が無い。

その人のために悲しむとか、じゃない。

 

感情は自分だけのもの。

 

だから。もう、まみれに行かないくていい。

自分は、自分を幸せにすることに、集中する。

 

自分を救えないなら、他人は救えない。(本当の意味で。付け焼き刃はできる。どちらか一方が我慢するやり方ならできるかもしれないけど、それは本当の幸せじゃない…)

 

だから。ざまぁwwwwってニュース追いかけないで。

自分の目の前の現実に、もっと集中して。

戦いにまみれにいかないで。

今。ここにいる、自分を幸せに。

今できる精一杯で自分に手をかけよう。

 

もう、対立やマウントやとにかく戦いに身を置かない。そこに幸せがないから。

私の方がー、とか。してもキリがない。

私は…というか、みんなそれぞれ、違いすぎて、比べるの意味ない。

みんなそれぞれ、こんな体験したいって思って自分を決めて産まれてきてる。

目的が違うから、くらべても本当に意味ない。

 

美人に産まれて、美人の苦労したい、とかならその人は美人を選んで生まれ来てる。

 

美人に産まれて、なんの苦労もなく、楽しく生きたい、ならその人はそういう境遇を選んで産まれできてる。

(でも。このひっっっろい宇宙で、(たぶん外宇宙含む)唯一、地球だけが、ネガティブから立ち上がるって素晴らしい体験できるから、他の星でもできるような苦労せずに楽々ーって人生はわざわざ産まれてくる意味薄いなーって感じる魂が多いような気がする)

 

それぞれにみんなゴールが違う。だって今日食べたものも違う。しゃべる言葉も違う。好きな物も嫌いなものも違う。

何が幸せって感じるかも違う。

何がかわいいって感じるかも違う。

 

みんな、それぞれ、唯一すぎて。

比べるの意味ない。

 

だから。自分は自分にしか救えない。自分が自分に何が幸せなのか聞いていくしかない。

自分と他の人は違うから。

 

自分の幸せに、もっと集中しよう。