6月9日
自分の感情を無意識に自動的に抑えた、その瞬間に気がつけた!
朝、出勤前の準備中、「焦り」で自分を責めていた。
まず、頭の思考(思い込み、培ってきた刷り込み)で、「いまこれやってる暇ないよ」「あ、今のタイミングでお茶いれておけば良かった」「歯磨かないと」「あー洗濯物溜まってる」などと思いながら、細かい順序を効率よく動けていないことを責めていた。
今、振り返ると、せめるくらいなら、ルーティンを決めておけば良かった、と思うが。
決めておくのは自由じゃないって思い込みがあった。
…ルーティン…、どうだろう。
…いや、やはり嫌だな。
「責めずに、何も決めずにその瞬間思った通りに動く」のがいい。
そんなふうに次々、行動を責めていて…
これは気がついて、責めるのをやめた。
気がつけるから、気がついた分は、
「考えない」、思考をしない、心臓(自分の中心)に意識を向けるととめられる。
思考はそうやって変えることが出来てきた。
しかし、自分を責めてるのはもうひとつあった。
ぶわり、と胸の辺りに湧いてくる「焦り」。感情、…の部類になるのか。
私は今まで、この「焦り」が湧いたとき、
「大丈夫、気にしない!」
と、思考と同じような対応をしていた。
思考は考えない。感情は「感じない」。
振り返ると、誰かに横入りされて嫌な気持ちが湧いてきた時、「あー、でも、この人急いでたんだなぁ。なにかのっぴきならない事情があるんだ。それかそういう人に育てられたんか。とにかくなにか事情があるんだ」とか相手の事を考えて…、自分の嫌な気持ちの方を「感じない」ように、他のことを考えて、ごまかして、あいまいな感じにして、ほうってしまっていた。
すべてこんなふうにして、湧いてきたのを感じて…特にそれが対人になった時、相手の事情を勝手におもんぱかる方法で、自分の感情をごまかしてた。
なぜごまかしてたか?
なぜ自分の感情を感じないようにして生きてきたか。
これは子どもの頃、親に対して思った嫌な事をぜんぶごまかして来たからだ。
感じてたら生きて来れなかったからだ。
でも、今はもう違う。
感じても大丈夫。
私は1人で暮らせてるから。
感情を感じないようにしてる事に気がついて。
時間に遅れられて腹が立った、とか。
返信が全然なくて悲しい、とか。
そういう時に、感じたことを抑えないことを学んできた。
これは相手がある時。
わかりやすい。
相手に感情をぶつけ無くていい。
ただ、自分で自分の感情を感じる。
そこに罪悪感はいらない。
感情に善し悪しはない。
素直に感じればいい。
自分の中の事。
自分に嘘をつくと苦しい。
私は苦しいのは、…もういい。
苦しかったのはもう経験したから。
そうやって気がついて、変えてきた。
そして、今日。
自分が自分に対して、無意識に自動的に、感情を抑えた事に気がつけた!
自分の癖は無意識だから、なかなかなおせない。
でも。気がつけたらなおせる!
朝の準備の時間。
ぶわりと「焦り」の感情が胸に湧いてきて。
私は、瞬時に自分に「大丈夫! 焦らなくていいっ」と言って、「焦り」を無かった事にしていた。
こうやって、自動的に瞬時に、自分の感情を無かった事にして、今まで生きてきた。
それが、やっっと、その瞬間を捉えられた。
そして、やめた。
「焦り」を感じるのは、悪いことじゃない。
こんなふうに「焦り」を感じる。
それがそのままの今の私なんだ。
打ち消すのでは無い。
今まで私がやってきたのは、手を怪我して痛いーって言ってるのに、血が出てるのに、は?痛くない!って全否定してたのと同じだ。
心が焦ってますっって訴えてるのに。
焦ってないっ。だいじょうぶ!私は平気!
そうやって自動的に心を無視してきた。
特に、弱い所を。平気なフリするために。
弱い自分を認めずに。
感情は感じて、寄り添う。
これも自分だ。こんなことで、焦っちゃう、自分なんだ。
そのまま受けいれる。
やっと、出来た。
やったー(((o(*゚▽゚*)o)))!