佳日-かじつ-の日記

幸せになったことがないからこわい。でも、幸せになるためじゃなかったら、なんのために生きてるんだ! 複雑に考えがちな思いこみや常識について、ほんとうはどうだろう、と気づいたことをのせていきます。

幼い頃の思い違いと甘さ

びっくりした。

 

ものすごく、びっくりした。

 

親のせいだと思いこんでいたことが、自分のせいだった。

 

私は、親にわかってもらえなかった、という感覚がずっとあって、生きてきた。

 

いちばん古い記憶は、デザイン博で、なかなかものを欲しがらない自分が、キャラクターがついた手旗が欲しかった。

 

しかし、買ってもらえたのは、ビニール製の握るとキューと鳴くキャラクターの玩具だった。

 

これじゃない。

 

…すごい不満そうにしていたら、さすがに気づいた親が「え? ハタが欲しかったの?」と言った覚えがある。

 

 

この記憶で私はずっと、

 

わかってもらえなかった…

 

という記憶を持っていた。

 

なかなかものを欲しがらない私がほしいと言ったのに…

 

めずらしいのに…

 

わかってもらえないのなら、ひとりでどうにかするしかないか。

 

と、なって。

 

今まで生きてきた。(…こんな思い違いを現在まで修正できないくらいの親との関係だった…ことは置いておくとして)

 

なんのことはない。

 

これは親が私のことをわかってくれなかった、のではない。

 

私が、欲しいものをわかりやすく主張しなかったから、伝わらなかっただけ、なのだ。

 

それだけだ。

 

親が悪い。なんでわかってくれなかったの。ひどい。

 

伝わらなかったのを親のせいにした。親を悪者にした。

 

違っていた。

 

私は、要望を主張するのが苦手だった。(だいたい欲しいものがなかったので主張する機会が少なかった)

 

それだけ、だ。

 

自分のせいだ。

 

 

 

これは想像だが、私は多分、テレパシーで繋がった生き方のが慣れていて。

 

まだ乳児の頃は、テレパシーをつかっていたんだと思う。(赤子はテレパシー使えるってどこかで読んだ)

 

それが、この時初めてテレパシーでなく要望を口で伝える必要があって、それが上手くいかなかったから、ものすごくショックだったのではないか。

 

伝わらない、ショック。

 

 

甘えることも下手だった私は、この主張しない事で、無言でもじもじして、相手に汲み取って貰うことで甘えていた事もある。

 

なんてことだ。

 

子どもがすぎる…

 

気がつけて良かった。