外でなく内。
いろんな情報がある。
スピリチュアルな中でも、個人個人様々な、それぞれの現実がある。
ひとりひとり、オリジナルの現実がある。
全員間違ってなどいない。
全員が、全員、それぞれの現実をみている。
どんなに、この人の言うことは信用できるから、と情報発信者の言う現実を信じても。
情報発信者、その人にはその人の現実があって。
それは自分とは違う現実だ。
だから、自分は自分の現実をどうにかすることが大事だ。
例えば、戦争はおきていないのかもしれない。
戦争はおきているのかもしれない。
全然別の戦いなのかもしれない。
私は当事者じゃないから、わからない。
戦争について、私は「わからない」のが真実。
誰かが言ってるから、あいつが悪くて、本当はこうで…
こんなビジョンをみたから、なにかよくないかも…
なんて情報は、その人には真実だが、「私」はわからない。
たまに「わかる」こともある。ああ、これは本当だと。
でもそれ以外は、どんなにその人が本当のことを言っていても。
それはその人にとってのその人からみたオリジナルの現実に起こっていることだ。
私の現実ではない。
みんなは同じ現実をみることはできない。
みんなそれぞれ違う現実をみている。
私は私のこの眼球から世界をみている。
B'zの歌詞みたいに、彼女の目からぼくをのぞいてみることはできない。
外を変えるには、内を変えないといけない。
自分の現実は自分しかかえられない。
自分の内を変えるには、自分自身と向き合わないといけない。
自分の本音。
自分についている嘘。
見ないフリして放っておいている自分。
絶対に感じているとわかっているけど、認めたくないから無かったことにしている感情。
もしくは気にしている、ことをハッキリ認めたくないから、どれくらい自分が深く思っているか考えないようにしているコトガラ。
年齢のこと。
肉体のこと。
友達のこと。
仕事のこと。
親のこと。
お金のこと。
生き方のこと。
…もし、向き合える時間があるのなら、それは幸福な事だ。
けれど、その幸福に気がつかず、ゲームとかドラマとか漫画に逃げて。
ずるずると…。
向き合わないまま…。
それでは、内がかえられない。
内をみるのはこわい。
放っておいたから。けど、勝手になくならないから。
ずっと苦しい。
自分の思い、自分の考え、わからないままだと、変えられない。
内が変わらないと外も変わらない。
いつも、やらなくてはならないのは。
外の情報に影響されることじゃない。
自分の内で、何がおきているか。どう思っているのか。何が心配なのか。何が嫌なのか。何が好きなのか。何に対して怒っているのか。
それを自分でわかること。
そうすれば、自分の現実は変わる。
そうでないと、変わらない。