佳日-かじつ-の日記

幸せになったことがないからこわい。でも、幸せになるためじゃなかったら、なんのために生きてるんだ! 複雑に考えがちな思いこみや常識について、ほんとうはどうだろう、と気づいたことをのせていきます。

ブラックな会社にいた件について

私は以前ブラックな会社に約3年いた。3年経とうというところで将来の目標を提出する課題がだされ、考えたくなさすぎてやめた。

 

この時、私は、「私は間違っていない!」という考えだった。

 

この事にやっと気がつけた。

 

1周まわってくる思考が必要だったんだ思う。

 

今、たどり着いた結論は、

 

「私は間違っていた」

 

私は、間違った自分を認めたくなかった。…プライドが高かった、(認めたく無いけど…←)

 

 

やっとそれを認められた…。よかった。

 

 

私は当時、「私は間違ってない!」「間違っているのは世の中の方だ!」

こんな会社が世にはびこっているなんて!

日本にはホワイト企業がないのか?!

日本なんなの?!

 

世の中への怒りと、どうにもできない自分を責めまくっていた。

 

やっと仕事を辞めてから、怒りのまま、ブラック企業がはびこる原因を探すため、自分のが正しい、という理由を探すため、新書を読み漁った。

 

そして、自分が正しい、世の中は間違っている、という結論にたどり着いた。

自分を責めて責めて責めまくっていたけど、

「私は間違ってない!!」

という考えが間違っていなかったと結論づけることができたので、自分を責めるクセを少しづつやめてきた。

 

 

そして、タロットカードリーディングにであって、ずっと自分を許すこと、責めないこと、そのままの自分でいることを学んできた。

 

 

少し前にやっと、自分がこの学びを終えたら、「素晴らしい自分」になれると勘違いしていたことに気がついた。

 

「素晴らしい自分」には、なれない、とタロット先生に教えてもらって「はっ!」とした。

 

私の魂は地球に産まれるまえ、愛しかない場所にいた。

「カナシイってなに? 感じてみたい!」

とのぞんで、ココに来るために自分を自分で設定してきた。

 

つまり今、この自分に。

 

設定、だから、変えられない。

 

私は「素晴らしい自分」にはなれない。

そうなると、「カナシイ」が感じられないから。

 

設定してきた自分イコールこのままの自分。

 

このままの自分が完璧。100%。

 

その事にやっと気がつけた。

 

ずっと、「できない部分」を「できる」にしないとダメだと思っていた。

 

とんだ勘違いだった。

 

自分は、今この自分が、この世のことを感じるという目的のために完璧。

 

(そう、つまり、この先に…この「感じる」という目標を達成した先には、いわゆる完璧の自分が居る)

 

「できない」自分を、認められたら、気がついた。

 

ブラックな会社にいた自分は、間違っていた。

自分を大事にしていなかった。

世の中にはブラックな人、会社、が存在する。

逆もしかり。

存在を指さして間違ってる!!と言っても何も変わらない。

自分以外のものは変えられないから。

変えられるのは自分自身。

だから、嫌ならすっと方向転換すればいい。

「あ、違ったな」「こっちじゃなかったわ」

そこで間違った自分を責めなくていい。

間違いを体験したかったんだから。

それでいい。

 

ブラックな会社にいた自分は、間違っていた。

違うことが、わかったから、別の道へいけばいい。

 

…別の道に来て。

今この考えにたどり着いた。

 

だから、全部〇(マル)だ。

 

 

なんとなく、の感覚を大事にする。

 

なんとなく感じていることは本当だと気がついた。

 

なんとなく、この仕事はあってない。

 

なんとなく、あのお店に行きたい。

 

 

今まで、「なんとなく」出てきたことは、疑ってた。もっと強い感覚がこないと違うのじゃないかって。

 

でも、前世の感覚も「なんとなく」だけど、真実だって感じる。

 

ならば、この程度の「なんとなく」でも真実だ。

 

私にとっては。

 

今まで、

 

「なんとなく」この仕事あってないな。

 

と思っても、いや、まだ私が慣れてないだけ、もっと上手くできるようになったら変わるから、もっと強く思ったら行動に移そう。

こんな程度の感覚じゃ、ホントじゃないよ。

 

と、全否定していた。心に向かって、

「え? ホント? それほんとにそう思う? 本当はどうしたいの??」

って、聞いてはいたけど。

「んー? 本当はどう思う? いいよー、どんな風に思ってもー」

って語りかけてはいたけど。

ちょっと気を抜くと詰問している感じだったし。優しく言ってても、前提が『もっと強く思ってないなら嘘』…だったから。

 

「なんとなく」思ってきたことを全然、信じてあげなかった…。

 

私は、わたしに、こんなにも厳しかった。

 

なんとなく、でいいじゃないか。

 

もっと軽く生きよう。

 

 

 

 

ずっと、ストップが入っていた。

 

思う事。感じる事。

 

だって、感じてしまったら、実現できない自分に絶望してしまうカモシレナイ。

 

それがこわくて。

 

ストップしていた。

 

昔は、実現の方法を知らなかったから。この方法を選んで、生きてきた。

 

けど今は違う。

実現の方法を知っている。

 

だから、安心して何を感じてもいい。安心して何を思ってもいい。

 

現実はスグには変わらない。

 

けれど必ず変えられる。

 

だから、変えられないって絶望しなくていいから。

 

安心していいんだ。

 

 

 

しなきゃなんて…

https://m.youtube.com/watch?v=2LQO7HkYoqA

 

さっきこのCMをみて感動した。

 

歌っていろんな解釈ができるから、賛否両論がかなりありそうだな、と言うことはなんとなく感じるけどそれは自分と離れたことなので置いておいて。

 

ものすごく、主観になるなら。

 

 

 

「しなきゃ」なんてないさ

「しなきゃ」なんてうそさ

 

寝ぼけた人(眠ってる人、覚醒してない人)が見間違えたのさ

 

だけどちょっとだけどちょっと僕だってこわいな

 

 

 

こわいけど、自分を奮い立たせて、進んでいく感じ。

 

アセンションに向かう感じがした。

 

みんなそれぞれ、「しなきゃ」なんてない。

 

「したいこと」をして生きていい。

 

したくないことをやっていること。

したいことをやってないこと。

 

このふたつを無くしていくように。

 

まず自分の心の中で自分が「これしたくない」「これはやりたい」と思っていることを認めよう。今、出来なくても。

思っていることを認めて、許して。

 

すごく小さな一歩でも、少しづつでもやめていこう。やっていこう。

 

脳内でどうなったらうれしいかを想像するのを許そう。

 

自分に優しくするってこういうことだ。

 

 

 

 

 

 

休憩ってだいじ。

計画を立てるのが苦手だ。

 

というのは、自主性がなく育ってきたから。

 

小さい頃は、月曜習字、水曜スイミング、金曜ピアノ、と予定が勝手に詰まっていて。

 

自分で計画を立てる、ということをしてこなかった。

 

だからか、長期的に計画が必要な事ができない。

 

長期的に計画が必要なこと。

 

具体的には。

 

就職活動、

受験勉強、

 

…学期ごとのテストの点は良い。

 

授業もマジメ。

 

だから、そこそこ良い子。

 

なんだけど、長期的な将来の視点がない。

 

その上、計画もたてられない。

 

私は、受験勉強はほぼ力技。

 

高校受験は、通っていた塾がサポートしてくれたので、ほぼその通りにしていたから、一応大丈夫だった。

それでも、第2志望のほぼ100%受かるところにしか行けなかったんだけど。

(↑こういう認識も変えていきたいけど。今はそう思ってるから正直に)

 

大学もやりたいことがないから、勉強する意欲もない。

 

けど、就職するのはもっと無理だから。

 

とりあえず、今までの貯金でどうにかできる国語と英語の2教科のみの受験ではいった。

 

 

 

就職活動も、適当。

 

受かったからはいった。

 

…そうして今まで生きてきて。

 

やっと気がついたんだけど。

 

私は、

 

「休憩」ができない

 

のではないか?

 

 

計画を立てるのが下手くそ、ということはつまりそういうことだ。

 

突っ走ることはできるから、短期はどうにかできる。…つまり、学校の定期テストの点は良い。

 

でも、途中適度に「休む」事ができないから、長い期間を走れない。

 

これはすごく大事なことに気がつけたと思う。

 

でも、まだ自分にあったやり方まではわからない。

これから探ろうと思う。

自分をいたわること。

 

最近、私は自分をいたわる、やり方を全然知らなかったんだと気がついた。

 

そういえば、教えてもらった記憶がない。

 

例えば、頭が痛くなったとする。

 

頭痛い。

頭を使いすぎたんだ。

次は気をつけよう。

薬飲もうかな。いや、やはりやめよう。

あー何が悪かったのかな。

あれかな? これかな?

あー頭痛い。

揉んだらマシになるかな。

首とかストレッチかな。

 

こんな思考になる。

少し前に、考えるのを止める、という方法を教えてもらった時は、

 

途中で「ストップ、考えない。頭痛い…。痛くなくしてー…」

と、宇宙意識に投げていた。

もしくは、ミカエル様や守護天使に痛みをもっててー、とお願いしていた。

 

 

…全然、自分をいたわってなかった。

 

私が、私にやってもらいたかったのは。

 

頭痛い。

そうか。痛いね。

 

と、いたわる、というか。痛みを認めて。

 

痛いね、大丈夫だよ。

 

痛みによりそって。

 

そこを撫でたり。

 

そういう風に、してもらいたかった。

自分に。

 

なのに、消えろ消えろ、痛みは悪いものだから、なってしまった自分は今良くない自分だから、はやく元に戻って戻って…

 

と、痛みがある自分を、否定して、無いものにしていた。

 

そうではない。私がやりたいのはそうではなかった。

 

痛みがある自分を認めて。

痛みに寄り添う。

 

しんどい?

横になる?

 

って、選択をする。

 

自分をいたわること。

 

 

地球、宇宙、身体、自分、細胞

みんなのうたの「きみがいるから」って歌詞に感動した。

 

内蔵、骨、血管、

 

自分の身体に感謝する歌。

 

 

…そうだ。私はヒトリじゃない。

 

私の身体。

 

心臓、血管、胃、耳、手、足…

 

インナーチャイルドハイアーセルフ、自我、

 

守ってくれてる見えない存在、

 

今、この瞬間に、存在している、全ての次元の、無限に居る自分。

 

はたらく細胞のような視座にいると、

 

ひとつひとつの細胞が、全て私のために生きてくれている。

 

 

私は、こんなに生かされている。

 

 

私は、「この世界」

 

「この(私の)世界」の神だ。

 

 

私が神で。

 

細胞がヒトで。

 

 

今、意識の世界では、「地球は進化することを決めた」と言われる。

 

そこに生きている細胞=人間である私は、進化せざるをえない。

 

 

この視座を忘れないようにしよう。

 

 

 

 

 

 

自分を全肯定する。感覚が特殊な人。

もしかしたら、私は、「宇宙人的な自分」をずっと否定してきたのかもしれない。

 

いや、もしかしたら、ではなく、そうだ。

まぁ、だいたい、それ以外の自分を否定していなかったか、と言われると、そもそもそうではないのだが。

 

とりわけ。

 

もしかしたら、スターシードあるある、なのかもしれない。 ?

そこは、いま、私が気がついたばかりなのでわからないけど。そんな気がする。

 

 

例えば、よくわからないけど、地球規模や宇宙規模で考えたり、感じたりする事がある。

 

…私は、産まれた子ども達が、自分で、住む場所、学ぶ場所を地球規模で決められたらいいのにって、思っているんです。

 

魔女宅や、アニメのポケモンのサトシみたいに、冒険に出て。

 

この2人は目的があって、外に行くけれど。

目的を見つけるため、学ぶ為に。

自分の住む場所、学ぶものを見つけるため、体験するために。

 

子どもが世界を回る事ができたらいいのにって。

世界が平和ならできるのに。

 

って、そう思っています。

 

でも、これを誰かに言っても、しょうがないな、とか。

そんなデカい規模で考えても、現実的じゃ無さすぎる、とか。

もっと、周りのことから考えなきゃダメだろ、とか。

世界とかじゃなくて自分だろ、とか。

 

世界とかすぐ持ち出してくる。中二病、乙。

 

とか、いろいろ思って、…まぁ実際、中二病なのかもしれないけれども…

 

 

デカい規模で考えてしまう自分を否定していた。

 

まず、そう思ってしまう。

 

でも。

 

良いのだな、と。

 

ソレも自分だなと。

 

そう思う自分を、まず認めて。

 

例えば、

 

素敵な人が頑張って生きてくれていて。

 

そこで私が、思ったのは、その人への感謝よりも、

 

「地球、ありがとう。私を存在させてくれて。その人を存在させてくれて。いろいろと調整してくれて。今まで頑張ってくれてありがとう。地球に来てよかった」

 

という、「地球への感謝」だった。

これ、掘り下げてないから、まだわからないけど、ちょっと違うよなって思う。

その人の存在をまだ感じてないよな。

その人の素敵さを。

 

 

でも、先ずはそういう感謝が生まれる。

 

その事をずっと。

 

「私って、変だな…。なんでこんな地球規模で考えてるんだろう。いやいや、もっと自分でしょ。というか地球って…。宇宙とか、もっと枠をこえてさ…関係ないよな、中途半端な規模で考えてる……。地球規模で考えましょうって言ってるから良いことなのかな? いやでもなんかやっぱり意味無いし…そんな規模で考えてもさ…」

 

などと、地球規模で考えてしまうことにブレーキをかけていた。

よくわからないけど、「変だ」という理由で。

 

 

でも。

 

もう、良いや、と思った。

 

そう思う自分をまず、認めよう。

 

意識のことを学んでいる人、みんな「自分の中」をかえよう、と現実(外)と自分の内側の話をしているのに。

 

地球規模とか変な大きさが、出てきてしまう私みたいな人、いるんだろうか。

 

まわりと感覚の規模が違っていて、自分のことを話せない人。

 

私は、やっと気がつけました。

 

そう思っていいって。

 

これは、本当は、どんな風に考えていようが、自分を否定しない、という事で。

 

色んな意識の本に書かれています。

 

けど、そこに書かれている例題と自分が違いすぎて、自己否定がおきていました。

 

違いますね。

 

そこに例外はない。

 

 

どんなことを思っていても、今の自分の考えを自分が全肯定する。

 

それが自分に、優しくすること。

 

意味がないとかあるとか、変とかじゃなくて。

 

そう思う自分が、居ることを、全肯定する。

 

まずはそこから。

 

そうして、

 

自分の中で見ないことにしていた部分が無くなっていく→自分が統合されていく

 

そこから、どんどんより自分を見出していくことができる。

 

愚痴を言う自分。

地球規模で考える自分。

落ち込む自分。

意地悪な自分。

 

どんな自分も、居ることを全肯定する。

 

すべてそこから。

 

 

そうしてそのあと、どうしてそう思うか? とより自分を深めていけばいいんだ。

 

❌まず否定

⭕️まず肯定