上から目線に気がついたら。
私は、遺伝子組み換えワクチンを打つと、数年で健康に被害が出てくると思っている。
打った人みんな、みんな自己免疫疾患になってしまうと思っている。
だから、どうしても、打った人が心配で、悲しくて、怒っていた。
なんで打ってしまったの?
どうして?
あんなにあんなに危険だって言ってる人がたくさんいるのに。
国は信用できないのに。
テレビも、著名人も、高名な医療関係者も。
お金が関わっているのに。
世界規模で。
宗教もおかしいのに。
悲しくて、怒っていた。
けれど、それはそれぞれの選択だ。
私は、ハローワークの支援制度で、簡単な調理教室に通っていた。
その時、他の生徒さん達の今まで何をしてきたかを聞く機会があった。
1人残らず、みんな、頑張って生きていた。
それぞれに。
精一杯。
誰も怠けてなんかなかった。
みんな、それぞれ精一杯生きている。
ここで私は、「私だけ頑張っている」ような認識だったことに気がついて、反省した。
なぜか上から目線になってしまっていたのは、そんなふうに考えてしまっていたからだ。
私は、小さい頃から、なんでもある程度は無難に育ってきてしまった。
良い子だった。
だから、できない子、と判断されたことがなかった。
もし勉強が苦手だったりしたら、そんな高慢な考えのままそだたなかったかもしれないけれど。という発言も高慢か。
でも、ここにきて。
みんな、危険なワクチンを打ってしまう。
どうして??
また他の人を下にみてしまう感覚になっていた。
そんなはずない。
みんなそれぞれ頑張って生きている。
けど、中身がぜんぶ公表されていない長期安全性が分からない心筋炎が起きるかもしれないコロナを予防も重篤化も防げないワクチンを打ってしまうし、細菌防げないし酸素不足で脳にダメージをうけてガンのリスクがあがるマスクはしているし。
ワクチンのスパイクタンパク質の暴露こわいし。
消毒液で手の良い細菌を殺してしまうし。消毒液を吸い込んで
肺にダメージを受けている。
ずっと疑問で、どうしても下にみてしまう。
けれど、やっとわかった。
たとえていうなら、みんなは小学校にいるんだ。
私は大学生なんだ。
スピリチュアルな面において。
小学1年生が精一杯算数をやっているのを、大学生は馬鹿にしない。
小学生は小学生にあった課題をやる。
大学生は大学生のことをやるんだ。
ただ、早く生まれたかどうかだけ。
感覚的には、これでもまだ上下感があるがこの感覚を広げていけばいい。
ナスにはナスの一生懸命がある。
トマトとは違う。
犬とも違う。
それぐらいに、人は個人個人で違うんだ。
リスより洗濯機のが偉いわけではない。
それぞれの生き方がある。
みんな精一杯生きている。
今年はそれがよりハッキリしたのだと思う。
道が別れた。
誰かと一緒に行くことはできない。
道は自分でしか歩けない。
自分チームに助けてもらって、自分が歩く。
誰かの道の後ろを歩くことは、しなくていいし、(自分自身の自由のために)してはいけないし、(自分の道でないと違和感があって進めない)できない。
私は、遺伝子組み換えワクチンをうつのは危険だと思っている。
でも、安全だと思っている人もいる。
それは自由な選択だ。
魂は永遠だから。
全て良い経験。