佳日-かじつ-の日記

幸せになったことがないからこわい。でも、幸せになるためじゃなかったら、なんのために生きてるんだ! 複雑に考えがちな思いこみや常識について、ほんとうはどうだろう、と気づいたことをのせていきます。

長女の刷り込み

「どうせ私は〇〇なんだ。」

 


って、いつも思いがちだ。

 


この世界は、心もちで見え方が変わる。

 


どうせ、と思って、自分の価値を下げていたら、本当にそうなってしまう。

 

 

 

だから、どうせ、というのはもう、やめた。

 


と思ってたけど、

 


呼吸をするようにやっていた。

 


下に弟妹がいる人は、特に刷り込まれている、のかもしれない。

 


私には妹がいる。

 


無意識に、「難しい方を引き受けなくてはいけない。簡単な方を残しておかなくてはいけない」と思っている。

 


かってに、ハードモードを選ぶクセがついている。

 


楽々やってはいけない。

 


そんな刷り込み。

 


難易度関係なく、やりたい方をやっていい、はずなのに。

 


例えば、仕事の割り振り、AかBか割り振られる時。

 


Aの方が楽な仕事で、Aの方がやりたいな。

 


と思っても、いや私はきっとBが割り振られるなと思い込んでしまう。

 


そして、実際Bの仕事をわりふられることが多い。

 


無意識のうちにえらんでいるから。

 


Aの仕事になった時は、いいのだろうか?、と罪悪感さえ持ってしまうのだ。

 


こういうことを繰り返していると、

 


ああ、『どうせ』またBだ。

 


とより強く思い込んでしまう。

 


たまにAでも、たまにだな…、ほんとにたまのことだ、とひねくれたうけとり方をしてしまう。

 


勝手に引き受けて、勝手にふてくされている。

 


だいたい、その難易度は誰が決めたのか。

 


自分だ。

 


自分が難しそうと思っても、他の人には簡単だったりすることもある。

 


難しそう、だから、私が引き受けなくては。

 


と思うことは、ないのに。

 


難しそうなことをやりたい人だっているのに。

 


そう、私だって、難しそうなことをやりたい、と思う時もある。

 


だから難易度は(そもそも自分が勝手にそう思っただけの)関係ない。

 


いいんだ。やりたい方を選んでいいんだ。

 


それでも、どうせ、をつい使ってしまいがちな時は、

 


「どうせ私は愛されている!」

 


「どうせ私はラッキーだ!」

 


と、ポジティブなことばに言い換えるといい、と先生(スピリチュアルガイド)にきいた。

 


…のは、だいぶ前のことだけど…。

 


やっと深く理解できた。

 


実践して行きます。