佳日-かじつ-の日記

幸せになったことがないからこわい。でも、幸せになるためじゃなかったら、なんのために生きてるんだ! 複雑に考えがちな思いこみや常識について、ほんとうはどうだろう、と気づいたことをのせていきます。

6月1日

 

おにぎり屋さんで買った小エビのおにぎりがなんか美味しくない。というか油っぽくて気持ち悪い……

 

コンビニのハニーローストナッツが甘味料の味する。

 

スーパーのお惣菜売り場のコロッケと春巻き、2日続けて食べたら、顔に吹き出物とベタつき。

 

職場の人と「1日2食なんですよね」

「そうなんだ。え? 甘い物は好き?」

「甘い物好きなんですよねー」

「毎日食べてる?」

「食べてますね」

「あー、そうすると本当は2食にしない方が良いんだけど…」

「そうなんですか?」

「うん、ほんとはね」

「甘い物食べてる分、2食にしてるってもあるんですけどねー」

 

なんて話してて、その日の帰り、カフェでスコーンセット頼もうとしてたのをなんとなくやめる。

 

…なんとなく、甘い物を食べるのは逃げ道でもあった。

 

それを咎められた気分に勝手になって、甘い物…特にケーキ焼き菓子が食べたい衝動が無くなった。

 

…どうしよう。ここ数日でどんどん悪いものを受け付けない身体になっている気がする…

 

 

お肉も、牛が高いし特に好きじゃないから買わなくなって、豚もなんとなく買わなくなって、今はトリ肉しか買ってない。

 

ラーメンやさんで餃子とかはまだフツーに食べてるけど。

 

 

 

食べれるものが減ってくなぁ…。

 

 

まぁ、身体に良くないことをより明確に早く感じられるのは、良いことだ。

 

けど、実際、コンビニ弁当とかで済ませられたら楽なのになー

 

5月31日

バンプオブチキンの「ギルド」の歌詞が心にささる。

 

汚れたって受け止めろ 世界は自分のもんだ

 

構わないからその姿で生きるべきなんだよ

 

それもすべて気が狂うほどまともな日常

 

 

「ray」でうたってることも似ている。

 

いつまでどこまでなんて 正常か異常かなんて

考える暇もないほど 歩くのは大変だ

 

 

 

生きて行くってことだけで、大変なんだって。

日常は大変だ。

 

でも。

 

だからこそ。

 

わざわざ終わらせなくていい

どうせ自動で最期は来るでしょう。

 

その時を考えても意味が無い 借りてきた答えしか出てこない。

 

四の五の言わず飯食えよ 人の振りみて人にはなれんよ

気にするほど見られてもいないよ 生まれたらどうか生き抜いて

 

(モーターサイクル)

 

ひとつだけひとつだけ

その腕でギュッと抱えて離すな

世の中にひとつだけかけがえのない生きてる自分

 

弱い部分 強い部分 その実 両方が

かけがえのない自分

 

誰よりも何よりも それをまず

 

ギュッと強く抱きしめてくれ

 

 

(ダイヤモンド) 

 

 

 

 

5月30日

バンプオブチキンの公式アプリが神すぎて感動している。

 

無料でニコルをみてられるし。ライブ音源がずっときける。

 

ライブ音源聞きながら出勤中なんだかずっと泣いてしまった。

 

その話を職場でした。

 

ある人が笑いながら聞いてくれた。

 

その人は「そんなに良いの? 聞いてみるね」と言っていたけど、本当に聞いてくれるかはわからない。

 

それは別にどっちでもいい。聞いてみて、好きになってくれたら私が勝手にうれしいけれど。

 

実家にいた頃、母の運転する車でBUMPをながしていたけど。

母は特に感動していなかった。

 

やはり、合う合わないってある。

 

BUMPの曲に癒される人は、その曲の中に感じるような痛みやさびしさを知ってる人だ。

 

 

BUMPの曲には誰かとの関係、漫画やドラマ映画の世界、そして、自分と自分の対話をうたった歌があると私は思っている。

 

とりわけ、この自分と自分の対話の歌に、私は感動する。

 

ダイアモンドとかステージオブザグラウンドとかメーデーとかプレゼントとか時空かくれんぼとかとかとか

 

…もしかして、BUMPの唄に共感しない人は、人生、トントン拍子であんまり困った事ないのかも? そんな人生も素敵だな。

なにみえの本には「ご褒美人生」って、ただ楽しいだけの人生の時も輪廻転生の中であるらしい。

とてもうらやましい。

 

でも、私は、さみしさとか、かなしさとか。

もどかしさとか。

そんな気持ちを知っていて。

BUMPの唄に何度もすくわれて泣いて感動できる人生で。

良かったなぁって思った。

5月29日

免許証の更新に行った帰りに偶然見つけたカレー屋さん。

とっても美味しかった。

とても幸せな気分になった。

一晩たった今も思い出すと幸せなきぶん。

 

ほんとに良いお店だったなぁ。

また行こう。

 

スネていい。

 

びっくりした。

 

私、いまのいままでずっと、スネていた。

 

いろんなことがうまくいかなくて。

 

スネていた。

 

ごめん。自分。

 

スネているのを認めたくなくて、ずっと、自分がどう感じているか、から逃げていた。

 

知ってる。

 

どう感じていたほうがいいのか、知ってる。

ポジティブがいい。

世界を肯定的にみて

人に感謝して。

だって、この世は、ぜんぶ自分の内側の反射だから。

内側がかわらないと、外側が変わらないから。

 

だから、

 

肯定的、ポジティブ、感謝

 

そんな明るくて、素敵な内側…

 

そうじゃない自分を、ずっと、見ることができなかった。

 

正確には、そうじゃないって、認めたくなかったから、保留にしていた。

うん。大丈夫、ちょっと、いま本調子じゃないだけ。

すぐ戻るから。

 

もどったら、みるから。

 

そんな風に、自分の心からにげて。

 

結果的に、ずっと自分の心を無視していた。

 

子供のころに、親に、「あとでね」と言われて、そのままになってる。

その感じと似ている。

 

私は、自分の心に、「あとでね」と言って…本当にあとでみる気でいて、

 

でも子供にしてみたら、放っておかれるのは悲しいよね…

 

 

 

 

もし、私と同じような方がいるなら、

 

「いいんですよ」

 

と伝えたい。

 

「スネるのは、当たり前で、悪いことじゃありません」

 

「だって、いやなことがあったんでしょう?」

 

「それを、だれも助けられなくて、わかってもらえなくて、」

 

「辛くて、そして、現実が嫌で、スネたんでしょう」

 

「当たり前です。スネていい。あなたはなにも悪くない」

 

我慢しなくて、いいんです。

 

スネてる自分を、自分自身に出してもいいんです。

 

スネてるのを平気なふりして、「あとであとで」って、

「大丈夫、大丈夫」って、しなくていい。

 

スネていていいって、ムカついていていいって、

自分の内側の、ドロドロしたもの。

あっていい。

 

それは、自分が感じたくて、感じるような現実にしたんだ。自分が。

感じられて、よかったんだ。

 

でも、それと同時に、むちゃくちゃにムカついていい。怒っていい。

相手を責めてもいい。(自分の中で)

 

自分で仕組んで、相手にムカつくなんて、矛盾している。

 

だから、ダメだって、思っていた。

 

でもダメじゃない。ムカつくって、思っていい。というか、あいつムカつくって、感じるために現実化したんだから。筋が通っている。

 

常識で考えると、ネガティブなことを感じるためにわざわざ自分が現実を創ってるなんて、意味がわからない。

けれど、それが本当なんだから仕方ない。

 

だから、スネていていい。

自分の生まれを、(自分できめたのに)恨んでいい。

親にムカついていい。誰かを怒ってもいい。

(相手にそれを伝えるかはここでは想定しない。あくまで自分の内側でも本当の気持ちを隠してしまう癖がある私は、自分の中で感じ切ればいい)

 

そして、その感情は、感じ切ったら、消える。

 

スネたまま、その場に座り込んでた私は、そして、やっと先に進める。

 

スネたままなんて、もったいない。

せっかく産まれてきたんだから、もっと、立ち上がって、やりたいことを、楽しそうなことをやろう。

 

いま、やっと、そう思えた。

 

紅茶のいれ方オリジナル

私の紅茶の淹れ方

 


・スチールの薬缶(形がお気に入り)

ニトリの丸ポット(20年くらい使っている)

・二重こしあみ(たまに熱湯で煮てお掃除)

・KINTOのガラスコップの蓋(丸ポットの蓋代理。ジャストフィット)

・お気に入りのカップ(一目惚れ購入の陶器)

・農薬をつかわず育てた紅茶リーフ(たくさん飲むのでなるべく安全に)

・無調整豆乳(できたら有機。牛乳と調整は甘みが苦手)

備長炭を一晩つけた水道水(たくさん飲むので以下略)

ティーキャディースプーン(カレルチャペックの)

 

 

 

 


手順

 


薬缶にお水を勢いよく入れる。

(空気がはいるように勢いよく。)

 


ガス火にかける。

(電気でわかしたお水は身体を冷やすらしい)

 


お湯が沸いたらポットに少しお湯をそそいで、ポットを動かし温める。

 


そのお湯をカップに注ぐ。

 


温めたポットにスプーン1杯とあと3分の1杯位の紅茶をいれる。

 


お湯を勢いよくそそぐ。ポットの注ぎ口に届く位まで。

 


蓋をする。

(空気がよく含まれていると、丸ポットの中で対流が起こって紅茶がよくでる)

 


豆乳やらケーキやらを準備する。

 


準備できたら、カップに注いであったお湯を捨てる。

 


紅茶をカップに適当に少しそそぐ。

 


カップの紅茶をポットに戻す。

(ポット内の濃さを均一にするため。こうすると渋みが出たりするのだろうか? 本来はスプーンでくるっとかき混ぜる。スプーン使うの面倒なので)

 


出来上がり。

(蒸らし時間は3分以内のものならあまり気にしない。5分以上のものは出にくいので気にする。だんだん濃くなるのを楽しむ英国式…しかし上記手順で濃さを均一にしているためそこはフランス式…笑)

(補足*英国式はポットの中に茶葉をいれた状態で提供。フランス式は別のポットに注ぎ替え、濃さが変わらない状態で提供)

 


紅茶をカップに注いでソイラテで楽しむ。

 


途中こしあみに出がらしがたくさん出てきはじめたら、あと1杯程でおしまい。

 


最後出がらしが少し浮く位(カップ3分の1位)で残った紅茶は濃いのでもう一度お湯を少しいれて、ポットを動かして中の紅茶を回しながら勢いよくカップにそそぐと、出がらしが全部こしあみに出てきて捨てやすい。

 

 

 

察しろとか、ごめん無理すわ。

すごい! ちょっとだけ男性の気持ちがわかった!

 

私は女性だが、多分、女性に産まれる経験は少ないと思う。

だいたい、地球経験も浅いんだと思うが。

 

 

今日、新しいバイト先で、

 

 

「私、いま、ずっとひとりでやってたんで。

気がついたら誰か手伝ってください。

新人さんも、こっちのが優先なんで。

その仕事は後にしてください」

 

と、注意された。

 

 

いやいやいや。

 

言って? 手伝えって、言って?

 

申し訳ないけど、その作業ひとりでやるか、手伝った方がいいか、状況サンプルが入ったばかりで少なすぎて知らないわ。

 

 

私は天然…、らしいので。

 

コミュ力ないし。

 

テキパキ察して動くのは苦手。

 

まぁそれは置いておいて。

 

 

手伝ってもらうの待ってないでひとこと言えばいいのに。

 

というのが私の正直な感想だ。

 

しかし、あちらからすれば、「私がひとりでやってるのみえてるでしょ? ひとりでなんておかしいでしょ? 察しろよ。今コレが1番優先の仕事だろ。普通に考えて」

だと思う。…多分。

 

これは、

 

普段、家にいない旦那さんと奥さんの感じに似てるのか?

 

と。

 

…どちらの経験もないので想像だけど。

 

旦那さんが家事ができないのは、

 

どんな状況が普通なのか。イレギュラーなのか。状況サンプルが少ない。

 

のかもしれないと思った。

 

経験がないから、察するのは難しい。

 

この仕事は手伝っていいのか。手伝わない方がいいのか。

 

何も言われず、優しくされてるなら、何もしないのが正解なのか。

 

どんな状態がゴールなのか。

どんな状態なら、いけないのか。

 

まったく知らないから。

 

奥さんがひとりでテキパキやって、

 

旦那さんが、いや自分は下手くそだから邪魔になっちゃ悪いしな…

 

って、あえて手を出さなかったことに

 

「なんで『手伝おうか』の一言もないのか」

 

「だいたい自分の家でもあるのに『手伝う』とかじゃなくて『普通にテメーもやる』んだよ?!」

 

と奥さん側はお怒りなのかもしれない。

 

お怒りだから、旦那さんはあやまるしかない。

 

「言ってくれたらよかったのに」

 

などと言ったらさらに機嫌を、そこねるだけだ。

 

でも、本当に、旦那さん側はいろいろ家の状況に対してサンプルが少ないというのが、察せられない原因なのかもしれないな、と、思った。

 

…普通に考えたらわかるだろ、って言われる話かな。これ?

 

しかし申し訳ないが、私は察するのが苦手なので。

 

察しろよという要求は、経験をつむまで、諦めていただくか、謝るしかない。

 

だから、

奥さん(経験者)側は、

 

「手伝って」って、

言ってくださるのは、

 

難しいこと、なんだろうか…

 

言っていただけると、解決に近づくと思うのだが。