佳日-かじつ-の日記

幸せになったことがないからこわい。でも、幸せになるためじゃなかったら、なんのために生きてるんだ! 複雑に考えがちな思いこみや常識について、ほんとうはどうだろう、と気づいたことをのせていきます。

そのままでいい。

かっこつけて、わかりやすいブログにしよう、とかいろいろハードル勝手にあげてたらなんて書いたらいいかわからなくなりました。

 


でも、何かを発信したい、気持ちは変わらずあるので。

 


さぐりさぐり、やっていこうとおもいます。

たぶん、とうぶん、ひとりごとのような、ふわっとしたわかりにくい文章になると思います。

 


気づいたこと、をなるべく正直にしるしていこうとおもいます。

 


私の気づいたことが、どなたかの何かしらのヒントのきっかけになることを祈っています。

 


今日気がついたことは、私は、「なにか」になろうとしていた、ということです。

 


なにか素晴らしい者になったら、

 


今を幸せに生きられるのに。

 


なにか素晴らしい者にならなければ、

 


こんな失敗してたら、素晴らしい者になれない。

 


なれないから幸せになれない。

 


こんな卑屈でネガティブな考え方をしてたら、素晴らしい者になれない。

 


なれないから幸せになれない。

 


《そうではない。》

 


それこそが、幻想でした。

 


自分は、そのままでいいのです。

 


なにか、になる必要はない。

 

 

 

なにか素晴らしい者…例えば、失敗しない、神や天使や…いっそ自然にうまれたら、それでよかった話なのに、わざわざ人間として産まれるのを選んだのは私自身なのです。

 


人間とは、失敗するもので、完璧なものなどない存在です。

 


でも、そこが魅力なのです。

 


完璧な人間…なんて、…つまらない。

完璧な人間なんて、居ない。

完璧をよそおっている人間がいるだけです。

 


完璧をよそおっている人間は、他人に厳しく、自分に厳しい…。

 


自分の欠点を認められない者です。…でも、本人は隠せてるつもりかもしれないけれど、まわりにはばれています。

 


だから、欠点をみとめている素直な人間が愛されるのです。

 


意地悪さとか。

忘れっぽいとか。

口べたとか。

不器用とか。

 

 

 

…隠している…そうじゃないってよそおっている人より、オープンにしている人の方が、素直で、素敵です。

 


だから、「なにか」になる必要はないんです。

 


自分は「そのままの自分」でいるのが素晴らしいのです。

 


素晴らしい完璧な「なにか」になった自分が幸せになるんじゃない。

 


完璧をよそおっている自分が幸せになるのではない…

(…これは経験上。…よそおって生きてきて、…幸せにはなれなかった)

 

 

 

今の「このままの自分」が幸せになるんです。